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人の名前を正しく発音・表記することとインクルージョンの深い関係

author ぬえよしこ
人の名前を正しく発音・表記することとインクルージョンの深い関係
Image: GettyImages

アメリカ暮らしの中で、英語話者には珍しい自分の名前が正確に発音されない体験については、以前こちらの記事で書きました。

間違った発音で名前を呼ばれることは日常茶飯事で、特に気にしてはいなかったのですが、名前を正しく発音することとインクルージョンとの関連について書かれた記事を読み、考え方が変わりつつあるので、今回はこのことについてご紹介します。

名前を正しく発音することはなぜ重要なのか?

シンガポール出身で、現在住んでいるアメリカはもとより、各地で名前を間違って発音されてきたというRuchika Tulshyanさん(ファーストネームを日本語で表現するなら「ルーチーカ」と発音するそうです)。

その経験から、シアトルでCandourというインクルージョン戦略の会社を立ち上げました。

Ruchikaさんは、Harvard Business Reviewの記事で「同僚の名前を正しく発音するのは、礼儀上大切であるだけでなく、心理的な安心と帰属意識が持てるインクルーシブな職場を作るために重要な努力」と断言しています。

また、発音の間違いだけではなく、なじみのない名前は仕事の評価にも悪影響を与えることがあるのだとか。

Ruchikaさんは、プリンストン大のNarayanan教授が欧米系の人になじみのない名前では仕事の機会に影響するとツイートした例、教師が生徒の名前を正しく発音しないことは生徒のメンタルに悪影響があるといった研究結果の例を挙げています。

Ruchikaさんは、NPRのインタビューでこう語っています。

他人の名前を正しく発音することは、帰属意識、人から尊重されていること、認められていることを感じられる重要な要素です。(中略)

同じような経験を持つ世界中の人々、企業の社員たちと話して見えてきたのは、(名前を正しく発音することは)インクルーシブな職場環境を作ることに不可欠であるだけではなく、珍しい名前だからといって恥じる必要はないということです。

どの名前も素晴らしくて特別で、その人のアイデンティティの大きな一部なのですから、相手の名前を正しく発音する努力をしないということは、その人を排除していることになります。

その人のアイデンティティの一部である名前をないがしろにすることは、配慮に欠ける行為であり、相手の心理や職場に悪影響を及ぼす可能性があるのです。

日本語話者には英語のLとRの区別が難しいというように、言語の違いから、発音できない、または発音しにくい音というのはあります。

それでも、正しく発音しようという姿勢があるのか、それとも外国語の名前、なじみのない名前だから発音できなくて当たり前、間違っても仕方ないと思っていい加減な対応をするのか。そこには個人の資質が垣間見られるような気がします。

以前、英語だけを話すアメリカ人が、JorgeをGeorge、MiguelをMichaelというように、スペイン語の名前を英語式に変えて呼んでいるのを目撃したことがあります。

ホルヘさんが「ジョージと呼んでくれ」と言ったのなら別ですが、もし勝手に英語式に呼ばれていたとしたらその人たちはどう感じていたのでしょうか。

正しく発音するための3つの対策

Ruchikaさんが提案する、相手の名前を正しく発音するための対策はいたってシンプルです。

1.どう発音するのかを尋ねて、きちんと確認する。

2.間違って発音していることに気づいたら、謝って訂正する。

3.自分の名前が相手にとって覚えにくい場合には、わかりやすい覚え方を提示する。

このうちの3については、筆者(ぬえよしこ)もこの数年、取り入れていることがあります。

ファーストネームを主に使うアメリカでは、スペルから判断されて「ヨシーコ」とアクセントが真ん中に来ます(慣れてはいますが、違和感はなくなりません)。

なので、相手から名前の発音を聞かれた場合、「綴りの『i』は発音せずに、『Jessica』みたいなアクセントで言ってください」という説明文を決めました。

そうするとかなりとかなり日本語に近い発音になるのです(英語は強弱で日本語は高低の言語なので厳密には正確ではないのですが、発音は向上します)。

ただし、これは相手から聞かれた場合だけで、自分から説明したことはありません。

発音だけでなくスペルも要注意

さて、Ruchikaさんの記事は発音だけを取り上げていますが、ここでは名前のスペルについても、筆者が遭遇した実例を挙げて考えてみたいと思います。

カタカナで「ルーシー」と表記する女性名はどういうスペルでしょうか?

すぐ思いつくであろうLucyだけではありません。大学院のクラスメートにはRuthyさんがいました。これはRuthのバリエーションです。

珍しくない苗字の「グリーン」にはGreenとGreeneがあるし、人気の女性名「アシュリー」は、著者が見たことがあるものだけでも、Ashley、Ashleigh、Ashlie、Ashleeとバラエティに富み、音だけではスペルが判断できないことは意外と多いのです。

著者の子どもが以前通っていた学習塾は、「ミニ国連か」と思うような世界各国からの移民の子どもたちでいっぱいでした。

インド、ベトナム、アフリカの国々からの子どもたちの名前もバラエティ豊かでしたが、そんな生徒たちの名前を間違い続ける先生がいました(先生自身も外国からの移民で、間違いは意図していたものではなかったとは思いますが)。

その生徒たちと無関係なわたしでも、彼らの名前が間違えて綴られたり発音されたりするたびに心が痛みました。今振り返ると、その理由は、生徒たちのアイデンティティが軽視されているような気がしていたからだとはっきりわかります。

Ruchikaさんが述べているように、教師から名前を間違って発音され続けると生徒のメンタルヘルスに影響があるというのもうなずけます。

また、特にインド系住民とのやりとりでは、アルファベットが10文字以上も並ぶ長い名前に遭遇します。

何とか発音できたとしても、綴りを覚えるのはなかなか大変です。Nが4〜5字もある名前もありますが、それが1つ抜けていることで意味が変わってしまうかもしれないので、間違えないように気をつけています。

日本名でもアルファベット1字で異なる名前になってしまうことがありますよね。SatoとSaito、HiroshiとHitoshiは同じではありません。ですから、名前の長短や難易度(?)にかかわらず、またアクセント記号も含めて正しく覚えて綴ることを常に心がけています。

日本名は漢字に配慮

音から綴りが確定できないという例は、日本語の名前でも多々あります。「サイトウ」さんは「斉藤」「斎藤」「齋藤」など、「シモダ」さんなら「下田」「霜田」「志茂田」などありますね。

発音だけでもっとも一般的に使われている漢字だと思い込むのはNGだと気づかされたのは、文字起こしの勉強をした時でした。音で漢字を勝手に判断してはいけない例があることを学んでからは、特に気をつけるようになりました。

名前の発音やスペル、漢字に気を配るという姿勢は、良い人間関係を築くために不可欠なカルチュラル・インテリジェンスにも通じます。

自分は気を配ってきたけれど、自分の名前が正確に発音されること、綴られること(YoshicoやYoshkoと綴られたことも)はあまり気にしていませんでした。でも、他人に同じ気配りを求めてもいいのかもしれないと思い始めています。

相手への敬意を示すシンプルな方法

20年を超える著者のアメリカ生活で、日本人または日本語がわかる外国人をのぞいて、ファーストネームを最初から正しく発音できた人が2人だけいました。その印象は強く残っています。

正しく発音しただけではなく、ダイバーシティやインクルージョンへの理解にも長けていた、高いカルチュラル・インテリジェンスの持ち主でした。

日本に住んでいても外国名の人と接する機会もあるでしょう。その人たちの国や言語や習慣について、私たちはよく知らないかもしれません。

でも、相手のアイデンティティを尊重して敬意を示すには、名前の発音や綴りに気を配ることから始めてみてもいいのではないでしょうか。


Source: Candour, HBR, NPR

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