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愛情を芸の肥やしにする。シティ・ポップ芸人ポセイドン・石川インタビュー

愛情を芸の肥やしにする。シティ・ポップ芸人ポセイドン・石川インタビュー
Photo: Ryuichiro Suzuki

「“シティ・ポップ芸人”を知ってますか?」

そんな噂を聞いて、YouTubeで見たのが山下達郎ふうの絶妙な節回しで歌われるDA PUMPのカヴァー「U.S.A.」。

ニット帽に長髪、青いシャツにジーンズといういでたちはあの方を彷彿とさせつつも、ルックスはメガネ姿の中年男性。

しかし、そのカヴァーに爆笑させられながらも、「この人、じつは音楽のことよくわかってるのでは?」とも感心しました。

さらに検索するとX JAPANの「紅」、安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」と出るわ出るわ、おもしろカヴァーの連続。

昨年末からは『エンタの神様』などテレビのお笑い番組にも抜擢されて、さらに注目度がアップ。この2月にはついに日本コロムビアからメジャー・デビューのミニ・アルバム『ポセイドン・タイム』もリリースされました。

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自分の好きな音楽での成功を夢見ていた彼が突然出くわした大ブレイク。

急激な多忙に戸惑いながらも、自らの不思議な運命と、好きなことをあきらめずに来た自らの人生について話を聞いてみました。

ポセイドン・石川にとっての成功のきっかけとは?

シティ・ポップ芸人が誕生した経緯

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Photo: Ryuichiro Suzuki

──「シティ・ポップ芸人」というワードは強力ですよね。

「シティ・ポップ」というのは山下達郎さんや竹内まりやさん、大貫妙子さんなどの都会的なサウンドを指す言葉で、近年は海外からも注目を浴びているジャンルですけど、それと「芸人」が結びついたことに驚きがありました。

石川:「シティ・ポップ芸人」というのは、自分から名乗ったわけではないんです。

大学卒業後に12年間過ごした京都から地元の金沢に帰ってきて音楽活動を始めたときに、ライヴハウスのオーナーさんが、僕が山下達郎さんのモノマネをして笑いをとっている姿を見て、「シティ・ポップ芸人」と名付けてくれたんです。

その言葉の響きが好きだったので、今ではツイッターのヘッダーだったり、いろんなところで使わせていただいてます。

そのライヴハウスでやっていた頃は、まだ外の世界に知られるようなことはまったくなくて、内輪だけでしたね。どうしてもお客さんが呼べないときは両親に見に来てもらったりもしてました(笑)。

そういうこともやってしのいでいたというか。やっぱり「なんで(こういうことを)続けてるんやろうか?」みたいな葛藤もあったりしました。

音楽でどうやって食べていくのかを考えたときに、「売れるしかない」という気持ちはありました。

なにか世間にちょっと風穴をあけるようなことをしないとダメなんだろうなと。

それで、ネットの力がすごいというのは聞いていたので「動画を作ってアップしてみよう」と思ったんです。

そのときに選んだのが、知り合いの結婚式で歌って評判がよかった安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」。

その動画が少しずつアクセスが伸びてきたので、いろいろ応用してやるようになって、X JAPANの「紅」があって、爆発したのがDA PUMPの「U.S.A.」でした。

人の力を借りるというよりは自分で活路を見出したかったし、いまもその気持ちは捨てきれずにあると思います。

今の芸風を確立するに至るまで

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Photo: Ryuichiro Suzuki

──現在の芸風になるまではいろいろ変遷があったそうですけど、そもそも最初はミュージシャンでも芸人でもなく、日本画家を目指されていたそうですね。

石川:そうです。入った大学も美大だったんですけど、音楽も子供の頃から好きで、どちらかというと絵よりも音楽のほうに思い入れが深かったですね。

やっぱり、どんなかたちであれ音楽を仕事にしたいという気持ちはありました。子供の頃から好きだったのはビートルズ、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル…。

いま思うと、自分の世代よりは昔のものにばっかり惹かれてましたね。ジャズ・ピアニストだったらオスカー・ピーターソンが好きだったし、ピーターソンの源流を知りたくて歴史をさかのぼってアート・テイタムというピアニストを見つけたり、ちょっとだけ彼が演奏している映画のビデオを見て喜んでたり。そういう青春時代でした。

友達とバンドを組んだりはしてません。

京都時代もそうだし、いまも自分のワンマン・ライヴをやるときにはサポートでメンバーを呼んでやっていて、結局はひとりでずっとやってきました。

人と協調するのが苦手というわけではないんですが、どうしてもひとりで没頭するほうに入ってしまいがち。自分で作ったものは自分で完結したいという気持ちが強かったです。

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Photo: Ryuichiro Suzuki

──山下達郎さんとの出会いは、いつ頃なんですか?

石川:中学時代にはビートルズがいて、高校時代はオスカー・ピーターソンとアート・テイタムがいて、京都に移って20代の半ばに山下達郎さんがドン!と現れたんです。

以前は自分のライヴは、プリンスふうの歌でやってました。金髪にヒゲを生やして、金のスパンコールに身を包むという、いまとはまったく真逆のド派手なものだったんです。

ただ、プリンスはちょっとアクが強すぎて、一般リスナーの方には敬遠されてもいて(笑)。

それで、ライヴの最後のほうに達郎さんふうの歌い方を一曲混ぜたりしたら、やっぱりそこがいちばんおもしろがってもらえてましたね。

僕は自分の素の歌声と日本語歌唱に自信がなかったので、そんな自分が日本語で歌えるとしたら「やっぱり達郎さんかな…?」と。

「井上陽水さん(のモノマネ)はできないんですか?」とかいろいろ聞かれたりはするんですけど、結局いま日本人の中で僕ができるのはいちばん影響を受けてきた達郎さんだけ

そのスタイルしか知らないし、「達郎さんだったら(この曲は)どういう反応になるだろう?」という興味もあって。

それで、金沢に帰ったときに、京都時代の自分を知ってる人は周りに誰もいなかったので、自分を切り替えて衣装も含めてまったく新しい気持ちでやってみようと思って、いまの芸風になったんです。

(山下達郎への)愛情しかない

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Photo: Ryuichiro Suzuki

──芸風とはいえ、作品を聴くと、たとえば「あんたがたどこさ」みたいな民謡までちゃんと達郎さんふうになっているし、すごく考えられてますよね。

石川:「(山下達郎への)愛情を感じる」と言ってくださってる方が多いのはうれしいです。実際、愛情とリスペクトしかないです。

ただ、ひとつ達郎さん風の大きなテーマとして、達郎さんだったらまずやらないであろうこと、やらないであろう曲をやるというのを、自分の中で掲げています。奇抜なことはやるんですけど、そこの一線はしっかり引いていきたいですね。

具体的に、達郎さん的なスタイルって何だろうと考えたときに、ひとつはコーラスという要素があると思ったんです。それでコーラスを自分でいろいろ研究して、突き詰めていきました。

17年に出したオリジナルCD『東京SHOWER』のミックスやマスタリングを担当してくれていた方からは「いまはもうコーラスの時代じゃない。やめたほうがいい」とも言われたりもしたんですけど、「このコーラスじゃないと作る意味がないんです」と主張して、何十トラックもあるコーラスのトラックを無理矢理ミックスしてもらいました。


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Photo: Ryuichiro Suzuki

僕の歌についていえば、僕の小学校からの親友もすごく協力してくれているんです。

彼はブラック・ミュージックが大好きで、僕よりはるかに歌もうまくて、歌を聴き取る能力も高いんですけど、彼にもかなりディレクションをしてもらいました。

どうしたらもっと達郎さんふうになるのか聞いたら、「もっとここの言い回しをウーンとうなったりしたほうが、らしくなると思うよ」って意見をくれたり。

僕のMV「U.S.A.」をはじめとしたミュージックビデオをiPhoneで撮ってくれたのも、じつはその親友なんです。僕がブレイクしたことをすごく喜んでくれてます。

ミュージシャンか芸人か

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Photo: Ryuichiro Suzuki

──将来的には「ミュージシャン」「芸人」のどちらか一本でやっていきたいという気持ちはありますか?

石川:「達郎さんふうのカヴァーをするシティ・ポップ芸人のポセイドン・石川」というのは世間に認知していただいてるし、テレビに出たり、CDを出せているいまの状況はすごくありがたいです。

そこは伸ばしていきつつ、ミュージシャンとしては、いつかは自分のオリジナル曲だけでいけるようになりたいという気持ちはあります

でも、「芸人」と「ミュージシャン」の境界を分けるというのも、おかしなことだと思ってるんですよ。

テレビでとり上げていただくときにも、「芸人って名乗ってますけど、実際は何者なんですか?」という立ち位置のときが多いので、そういうあやしさ、いままでになかったキャラクターという部分はちゃんと残していかなきゃいけないと思ってます。

そこをきっちり区切ってしまうのは、ちょっと違う。

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Photo: Ryuichiro Suzuki

もっと言うと、プロデュース業とか、自分の曲を優秀なボーカリストに提供して歌ってもらうとか、そういう活動もいずれやっていきたいので、自分をひとつの立場でガチガチに固めたくないですね。

「芸人」も「ミュージシャン」もうまく歯車が合って回ってくれたらいいなと思ってます。

まあ、昔は練習を「リハ」と言ってたんですけど、いまはなぜか「ネタ合わせ」って言われたりして(笑)。

「えっ?」といつも思うんですけど、イヤではないですね。


【インタビュー後記】

ライフハッカー[日本版]はビジネスパーソンの働き方をサポートするメディアで、仕事を効率的にこなすテクニックやうまく力を抜く方法についても伺えればと思ったのですが、ポセイドン・石川さんには小手先のテクニックというものがほとんどなく、びっくりするくらい全力投球でインタビュー中は正直ちょっと焦りました。

取材を終えた後には、ジェイムス・ブラウンの物まねから始めて62歳でファースト・アルバムをリリースしたチャールズ・ブラッドレイのように、好きなものに愛情を注ぎ続け、仕事にまでできたこの中年男性をただただ讃えたい、そんな気持ちでした。

近道なんてないから、苦しくてもとにかく目の前のことに誠実に向き合う。そんな姿勢を見た気がします。

今回、ライフハッカー[日本版]で初めて執筆いただき、石川さんのミュージシャンとしての側面を大いに引き出してくれた音楽ライターの松永良平さんにもこの場を借りて感謝いたします。

(ライフハッカー[日本版]編集部・岸田)

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Photo: Ryuichiro Suzuki

Source: 日本コロムビア, ポセイドン・タイム

松永良平

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