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「雇われ作曲家」から「クリエイター」へ。ベートーヴェンによる3つのイノベーションとは?

「雇われ作曲家」から「クリエイター」へ。ベートーヴェンによる3つのイノベーションとは?
Photo: 印南敦史

「クラシック音楽に興味はあっても、難しそうだし入りにくい」

そんな思いを抱いている方は、決して少なくないと思います。そこで、ひとつのきっかけとしておすすめしたいのが『クラシック音楽全史 ビジネスに効く世界の教養』(松田亜有子著、ダイヤモンド社)

著者は、日本最古のオーケストラである東京フィルハーモニー交響楽団広報渉外部部長であり、企業や国から相談を受け、演奏会の企画・広報を行なっている人物です。

本書では、クラシック音楽を、まずは読んで楽しんでいただきたい、と考えました。世界共通の言語である「音楽」は、どのようにつくられてきたのか。

ドレミの音階や、メディアとしての楽譜がどのように誕生し、音楽がどのようにして広がっていったのか。そこまで遡って、まとめています。 また、音楽家の役割や名曲が生まれた背景には、キリスト教の誕生や、王侯貴族の没落とブルジョワの台頭、産業革命、民族自決運動、ジャポニズムなど、さまざまな社会・経済の動きが色濃く反映されています。

音楽というフィルターを通じて、新たな世界史の見方もできるのが面白いところではないかと思い、意識的にそうした背景の解説も多く盛り込んでみました。(「はじめに」より)

つまりは、難解な部分も多い従来のクラシック音楽専門書とは異なる視点に基づいているわけです。

特に注目すべきは、ベートーヴェンを「ハイドンやモーツァルトなど古典派のスタイルを受け継ぎつつも、多くの革新を起こしたイノベーター」と位置づけ、彼の功績を「3つのイノベーション」として整理している点です。

ベートーヴェンは世界的に人気の高い作曲家で、演奏回数もモーツァルトと1位、2位を争うほどですから、生で聴くチャンスが多いですし、ベートーヴェンの音楽をより味わい深く楽しめるエピソードを盛り込んだつもりです。(「はじめに」より)

イノベーターとしてのベートーヴェンの功績に焦点を当てた、第3章「革命家ベートーヴェンによる3つのイノベーション」に焦点を当ててみましょう。ピアノ曲、弦楽四重奏、交響曲と、ベートーヴェンのつくってきた音楽は多くの人に愛されてきました。

しかし著者は、そのことを大前提としたうえで、ベートーヴェンがクラシック音楽に変革をもたらした“革命家”であった点を伝えたいというのです。

形式重視からオリジナリティの模索へ

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)が生きていた当時、ほとんどの音楽家は王侯貴族や教会に雇われた使用人でした。端的にいえば、彼らの依頼に従って曲をつくっていたわけです。

それは、筋金入りの音楽一家に生まれたベートーヴェンも同じ。ごく若いころは宮廷に勤め、ピアノやオルガンを弾いたり、貴族の子どもたちにピアノを教えたりしていたのです。

ベルギーのアントワープに生まれた祖父のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(ベートーヴェンと同じ名前)は、テノール歌手にしてパイプオルガンも弾けるという優秀な音楽家。

その息子、つまりベートーヴェンの父親ヨハン・ヴァン・ベートーヴェンも宮廷音楽家で、彼は息子の才能を見出し、ベートーヴェンが4歳のころからスパルタ教育を施しました。

ところが、この父ヨハンは徐々に酒に溺れアルコール中毒になってしまいました。そのためベートーヴェンは父の代わりに、一家の大黒柱として10代のころから貴族に雇われて家計を支えていたのです。

その結果、現代のビジネスの世界で「あそこにいい社員がいる」とクチコミが広がってスカウトされるのと同じように、「ベートーヴェンというすごい音楽家がいるらしい」と噂が広まることになります。

ちなみに当時のヨーロッパの音楽界でヒーローだったモーツァルトやハイドンはウィーンにおり、ウィーンこそが現在のIT業界におけるシリコンバレーのような音楽の中心地だったのだとか。

そのためボンでベートーヴェンを支援するパトロンたちは、「ベートーヴェンをウィーンのスターたちに会いに行かせれば、音楽家としての格も上がるし演奏の幅も広がるのではないか」と旅費を出して送り出してくれました。

実際、ベートーヴェンはモーツァルトに会って即興でピアノを弾き、才能を認められます。

このときは母親の危篤の報が届いたためボンに戻りますが、母親の死後、22歳でふたたびウィーンへ。翌年に父のヨハンが亡くなった際もボンには戻らず、ここからウィーンでの本格的な作曲活動がはじまったのだといいます。

ベートーヴェンの創作の特徴は、一般に3期に分けて解説されます。 まず初期(1802年頃まで)は、師であるハイドン譲りの、整った形式と温かな旋律が特徴です。

編成の小さな室内楽から始めて、堅実に作曲の腕を磨き、満を持して1802年に「交響曲第1番」を完成します。この時期の代表作には、「ピアノ三重奏曲第1番」「交響曲第1番」などがあります。

続く中期(1802年~1814年頃)は、旋律を構成するごく小さな要素(動機)を様々に変化させ、そのパーツを組み立てて曲をつくる「動機労作」の手法を徹底して追求します。

この頃の作品は、曲全体として強い統一感があるのが特徴です。旋律単位での変形とそれによる構築(主題労作)は師ハイドンが発展させましたが、さらに細かい単位(動機)での変形と構築を行ったことにベートーヴェンの功績があります。

また、そうした抽象的な作品づくりに飽き足らず、民謡風の素朴なメロディを取り入れたり、文学を参照したりと様々な挑戦をしたのも、この時期の特徴です。

この時期の代表作には、「交響曲第5番『運命』」、「ヴァイオリン協奏曲」などがあります。 その後の後期(1820年代)においては、既存の作曲技法(ソナタ形式やフーガなど)や曲種(交響曲など)を独創的につくり替え、乗り越えようとするチャレンジがなされます。

交響曲に初めて声楽を取り込んだ「交響曲第9番」がその最たるものでしょう。抽象的な難解さと、すぐに誰しも虜になってしまう魅力とが混在している時期と言われています。(91ページより)。

このように、その楽曲は時代の変化とともに形式を重視したスタイルからオリジナリティの模索~構築へと変化していったわけです。(88ページより)

ベートーヴェンが起こした3つのイノベーション

こうした流れを踏まえ、著者はベートーヴェンの功績を「3つのイノベーション」としてまとめています。

イノベーション① 自分の気持ちを表現する音楽

二度目のウィーン時代も、ベートーヴェンは当初、貴族や宮廷に呼ばれて演奏し、貴族の子弟のレッスンを行っていました。しかしそんななか、徐々に市民階級と王侯貴族との格差に矛盾を感じ始めることになります。

そればかりか、ナポレオンやフランス革命(1789年)を横目に見て、「自分たち市民も貴族も人間は皆平等だ」という思いを強くすることに。そして、王侯貴族のためでなく、国民のためですらなく、人類みんなのために曲を書くと宣言したのです。

それまでの音楽家のように召使として指図されながら作曲するのではなく、自分の思いを曲の前面に打ち出した音楽家はベートーヴェンが初めてだそう。音楽家が自分の感情を音楽に託して告白するなどありえなかった時代ですから、これは非常に大きな出来事だったといえます。

事実、その結果、ベートーヴェン以降の音楽家(「ロマン派」といわれる人たち)はさらに自由に音楽を謳いあげることにあります。いわば、その先鞭をつけたのがベートーヴェンだったということ。

イノベーション② パトロンに頼らないフリー音楽家

再びウィーンに移り住んだベートーヴェンは、ピアニストとして大スターになります。リヒノフスキー侯の持つ家に下宿していたものの、貴族の支援に依存することなく、ピアノ奏者として公開演奏会を開き、その後『ウィーン新聞』に「ピアノ三重奏曲集(作品1)」の出版と予約の広告を出したのだそうです。

予約者リストはウィーンとボヘミアの貴族が大半を占め、作品を献呈されたリヒノフスキー侯、それに夫人の実家のトゥーン伯爵夫人などが大口の予約者に名を連ね、123人が241部を予約。

弟子もとりましたが、それは、ピアノを習う人なら誰もが通る『チェルニー教則本』の作者であるカール.チェルニー(1791~1857年)です。

ところが人気絶頂のころ、ベートーヴェンは少しずつ耳に異常を感じはじめます。しかし音楽家にとっての致命傷を知られまいと、周囲には不調を明かすことができなかったのだそうです。

そのため徐々に周囲と距離を置くようになり、声をかけられても聞こえないため、偏屈者と言われるようになります。かつては社交的だったのに、自分の殻のなかに閉じこもってしまうようになってしまったわけです。

1802年、ウィーンから離れた静養先へ行き、弟たちに宛てて「ハイリゲンシュタットの遺書」を書きます。これは「遺書」と呼ばれていますが、「私は死にます」という後ろ向きな内容ではありません。

むしろその逆で、僕はまだ自分の内なるものを表現しきれていない、やるべきことがあるんだ」と、自分をこの世に繋ぎとめているのは芸術だという、情熱あふれる内容になっています。(95ページより)。

ここからベートーヴェンは新たな力を得て、数多くの傑作を生み出し、成功をおさめたのです。

イノベーション③ 先人のノウハウを徹底して完成させた

「ヘンデル、バッハ、グルック、モーツァルト、ハイドンの肖像画が私の部屋にある。ーーそれらは、私が求める忍耐力を得るのに助けとなるだろう」という、ベートーヴェンのメモが残されているそうです。

「才能とはなにか」と考えると、様式をゼロから新たにつくる人と、既に存在する様式を使って応用する人にできるかもしれません。だとすればベートーヴェンは、後者を極めた人だろうと著者は分析しています。

先人が発明した様式を徹底して研究し、「交響曲第9番」では合唱も取り入れ、器楽曲という枠組みをも乗り越えてしまうのです。

先述したように、ベートーヴェンの初期作品は、ハイドン、モーツァルトをお手本にしています。しかし多くの点で、19世紀後半に現れる新しい面をも見せているのだといいます。

◎ まだ第1楽章!?

「交響曲第3番『英雄』」は、もともとナポレオンに献呈するために書かれた曲です。第1楽章のソナタ形式は、きっとベートーヴェンは第1主題(主役)をナポレオンだと思って描いたのでしょう。

展開部が荘厳かつ壮大! 気がつけば、第1楽章のみでハイドンの交響曲1曲分に匹敵する長さです。 ひとりの英雄を描いた「交響曲第3番」は、ベートーヴェンにとっても自信作だったようで、1817年(「交響曲第9番」を作曲している頃)、詩人クリストフ・クフナーの「自作でどれが一番できがいいと思いますか」という問いに、ベートーヴェンは即座に『エロイカ(英雄)』と答えたという逸話が残っています。

◎ よけいな遊びやメロディー不要!

ベートーヴェン「交響曲第5番」。日本では『運命』と呼ばれ、交響曲のなかでもっとも有名な曲のひとつです。 冒頭「ダダダダーン!」が有名ですが、このダダダダーンという動機が第1主題となり展開されていきます。

「冒頭の4つの音は何を示すのか?」と弟子のシントラーがベートーヴェンに尋ねたところ、「運命はこのように扉をたたく」とベートーヴェンが答えたことが由来となったと言われてきました。

この曲ではメロディー的な要素は少なく、小さな要素(動機)を変化させ、そのパーツを組み立てて曲がつくられました。もとはすべて同じ素材からできているので、曲全体として非常に統一感があるのが特徴です。(97ページより)

このように革命家としてのベートーヴェンは、後世につながるイノベーションを生み出してきたわけです。そして「交響曲第9番」が誕生し、次の“ロマン派”と呼ばれる時代が見えてきます。

ベートーヴェンの死によってひとつの時代が幕を閉じ、シューベルトらが活躍する時代へと移っていくのです。(88ページより)




当然のことながら、クラシック音楽の成り立ち、オーケストラの歴史や楽器の変遷。クラシック音楽のジャンルと曲目の見方など、覚えておきたい基本的なこともわかりやすく解説されています。

また、巻末には入門者向けのおすすめ曲や、クラシック音楽が観て楽しめる映画なども紹介されています。そのため、読み進めればきっと、実際にクラシック音楽を聴いてみたくなるはず。ぜひ、手にとってみてください。きっと好奇心の幅が広がります。

Photo: 印南敦史

印南敦史

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